思い出のフルーツパフェ(のサンプル)

先日の帰省の時に、ムッちゃんの遺品を整理するから好きなものをもって帰れと言われて
特に欲しいものなど無いと思っていたしムッちゃんの思い出はモノには無いし。
いろいろ書き留めていた日記や大量の写真、アルバムを眺めながらふとサイドボードに
僕の目に飛び込んできたものがコレ。
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今から27年前に東京の葛飾区亀有(かめあり)でムッちゃんが始めたグリル&喫茶、
そのショーウインドーに入っていたウインドウ・サンプルの最後の一つがこのフルーツパフェ。
僕は迷わず「コレ、もらって帰る!」と言った。
火事で旦那と子供たちを一度に失った絶望のふちからやっと立ち上がったムッちゃんと
その喫茶店でウエイターとして働きながら予備校に通っていた僕との共通の思い出、
早朝のモーニングサービスから忙しいランチタイム、深夜のカラオケタイムまで
ひょっとしたらムッちゃんが最も生きるチカラを発揮していた時期かもしれない。

その他に「コレも持って行け」と持たされたあったかそうな冬物のチェック柄シャツ。
ムッちゃんがよくワンコの散歩に行く時に着ていたような・・・。
羽織ってみたらサイズが僕にピッタリだったのでまぁ、断る理由も無いかなと。

亡くなってすぐの時にもらって帰ったムッちゃん愛用のサングラスも
3個とも写真の横に置いてはあるけれど特に思い入れがあるわけではなく。
遺品とか形見とか僕が薄情なのか、こだわりが無さ過ぎるのかとにかく気持ちが入らない。

しっかりと手を握って目の前で命が消えていく最期の瞬間を目撃した僕にとって
残されたどんな「モノ」にもムッちゃんの温もりを感じなくなってしまった。

それまで想像していた別れ、形見、思い出と言った概念とはあまりにもかけ離れていて
自分でも拍子抜けしてしまうほど冷静に、しかしながらはっきりと死別を認識している。
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人が死ぬ事は哀しい事でも恐ろしい事でもなく、この世での学習期間が終わる事。
寂しいとか哀しいとか、会えなくなって辛いとか・・・。
それは全て残された自分達の感情であって自分可愛さのエゴイズム。

もっと生きたかっただろう、あれもこれもしたかっただろう。
勝手な想像と思い込みで自分の寂しさをいたずらに盛り上げないように
そんなゆとりを教えてくれた江原さんの著書と出会えたのもつい1年前。

思えばその日が来る事を察して運命的に引き合わせてくれたのかもしれない。
大きな紙袋に6~7冊の江原氏著の数々、
よく読んで勉強しなさいと渡してくれたそのひとにも今は心から感謝。

自分が死ぬ時の恐れ、傷みや苦しみ、寂しさ、無念さを
少しでも和らげてくれる様に、そして生きている時にどうすべきか、何をなすべきか
生まれて来た意味をもう一度考えてみよう。

巨額の貯金も、大きな家屋敷も、高級なスポーツカーも、全て置いて行かなければならない。
「どれだけ生きたか」、ではなく「どう生きたか」が人生の値打ちだとしたら・・・。
まだまだ僕は死ねない気がするけれど。

僕は・・・・(まだまだ修行が足りないので)
死ぬ事は(以前よりは)怖くないけれど死ぬまでの傷みや苦しみが怖い。
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最も罪深きは【自殺】すること。死は向こうからやってくるのを受け入れるのみ。
これだけは絶対。
生きたくても消えていく命があります。死にたくなくても奪われてしまった命があります。
自分で自分を殺す事は・・・何としてもやめていただきたい。
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by beach_bunny | 2009-01-06 22:00 | ちょっとスピリチュアル  

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